<   2004年 04月 ( 38 )   > この月の画像一覧

1967年4月、NET(テレビ朝日)。栗塚旭主演。

第1回に登場後、こんどは第3回にちょこっと出演。あいかわらず、登場時に名前は出ません。
役どころは、奉行所与力の二号さんである待合料亭の女将(役名なし)。婀娜っぽい雰囲気を出すのに苦労している様子が窺えました。

ストーリーは、討幕派と幕府方が入り乱れて争う中、例によって用心棒(栗塚旭)がどっちにもつかずにおいしいところだけ浚っていくという展開で、超然としているのか単に日和見主義なだけなのか、この人、よくわかりませんわ。そこがいいのでしょうけれど。
自分のことを「野良犬」なんて言っちゃってますから、アウトローなのね、たぶん。

お話はともかく、第1回も第3回もますみたんはけっこうきれいに撮れていますので、レンタルビデオ屋さんで見つけたら、ぜひご覧になることをおすすめしますです。
1巻2話収録ですんで、1巻と2巻に入っています。
[PR]
by sen1818 | 2004-04-30 23:36 | 橘ますみ
1968~69年 暁出版株式会社

(昨日の続き)
以上のように、撮影現場での知られざる秘話がてんこもりの辻村レポートなのですが、この他にも、『徳川女刑罰史』を当時のSM愛好者の人々がどのように受け取ったか、リアルタイムの反応がうかがえる文章が収載されています。

まずは、1968年12月号から。

・・・・ああ、これで愈々『責め』も日陰から陽の当る場所へ進出し、到頭(ママ)本格的なSM時代が到来したのだとの感を深くしたのです(略)。今まで私達ファンがいくら願っても、かなえられたことのない悲願だったのが、こうして堂々とブラウン管(公開前に『11PM』で特集が組まれました。そのときのタイトルが「責め地獄」。筆者注)やスクリーンに登場するということは、いささか空恐ろしい気さえします。(略)
全篇これ縛りと責め、拷問と刑罰の連続で、流石の私も第一話、第二話、第三話と見終ったときは溜息とも吐息ともつかぬ堪能した気持をほっと洩らしていました。今まで、これほど迄私に満足感を与えてくれた映画があったでしょうか。私は呆然とした有様で雑踏の中を一人で歩いていました。
(「徳川女刑罰史を見る」より)

手放しの礼賛ぶりですが、一方で、こんな正反対の見解もありました。

・・・・ところで小生いささかヘソまがりなので、辻村氏が全面協力したとかいう東映のSM路線はあまり見に行く気がしない。
古くて常識的な考え方だと思うが、大資本を持つ安定した映画会社の使命というのは決してこのような傾向の映画を作ることではないと思う。
また話は変るが、最近の傾向としてハレンチ、ハレハレの名を冠してSMが一般常識として浸透しつつあるかのように見える。(略)
とはいえ、それはまだまだはるか先のことであって、現在は暗中模索、まだ糸口さえつかんでいない状態である。辻村氏や団(鬼六)氏の様な特殊な場合を除き、異常心理による行為を曝露される時は、個人にとって社会的な死を意味する。今の段階ではしょせん我々は「へんたい」であることを、心に銘記すべきだろう。いかに理屈を並べて正当化しようとも、現在の社会においては「へんたい」は声を大にして通るものではないのだ。(以下略)
(「『へんたい』雑感より)

お次は、1969年2月号。

・・・・映画館は予想以上の入りを見せていたが、内容は、他の拷問映画やピンク映画と大差なしと言わざるを得なかった。渡辺文雄と小池朝雄の、強烈な演技だけが光っていたに過ぎない。(略)
こう書くと大変な悪評だが、やっぱり見て良かったという思いの方が強い。それは言わずもがな、責め、縛りの豊富と確かさが、見事の一語に尽きるからだ。(略)
然し、こうした映画は、タイトル通り刑罰であってプレイではない。同行した妻(ここでは名前を省略・筆者注)は何度か顔をそむけた。素肌を締めあげているロープの感触を楽しむムードではなかったと言っている。(以下略)
(「S・M雑記」より)

Sのご主人とMの奥さんが連れ立って観に行ったさいの感想ですが、ご丁寧にも裸の奥さんを縛った上で、洋服を着せて鑑賞に及んでいます(鑑賞前・鑑賞後の緊縛写真付き)。
また、「こうした映画は、タイトル通り刑罰であってプレイではない」という指摘は、なかなか的を得ているようにわたくしは思いました。
Mの奥さんが「顔をそむけた」というのも、そのあたりを敏感に察しての行為だったのでしょう。
本作が、サディズムをプレイ(性行為の1種)としてではなく、刑罰ないしは拷問(暴力行為の1種)として描いているという点に関しては、他の雑誌(『寝室手帖』)にも、

・・・・由来、日本の映倫はエロにはまったくシビアーだが、テロにはよわい。よわいというよりは分からないのだろう。
テロの中にもサジスティック(ママ)な喜びもあり、逆にマゾヒティック(ママ)な楽しみもあるものなのに、この喜びはまるっきり忘れさったように知らん顔である。
そこがつけ目と申せようか、石井輝男監督は上手に絵を作り変えて行く。
エロティックなものを、サジスティックに表現する技術はまったくもって石井旦那の自家薬籠中のものなのである。(以下略)
(「石井輝男監督の異常性愛の世界」より)

という指摘がありました。
そうすることで、巧みに映倫の網を潜り抜けたということなのでしょうか。
たしかに、今でも日本の映倫は暴力描写に甘いような気がします。

というわけで、なんだか取り止めのないご紹介になってしまいましたが、これら異常性愛路線映画での壮絶な撮影に耐えた若い女優さんたちは、その多くが討死に近い形で、ほどなく映画界を去っています。橘ますみたんとて、その例外ではありませんでした。
わたくしとしては、これら若き乙女たちの命がけの(無謀な?)お仕事を、せめてもは目を背けることなく見届けたい、そんな思いでいるのでございます。

付記:『プレイガール完全攻略』(1999年、白夜書房)に、片山由美子たん(『徳川いれずみ師 責め地獄』以降の作品に出演)が、当時を振り返って語った、こんなコメントを見つけました。
「・・・・久しぶりに募集のあったニューフェイスの試験を受けて、合格して東映京都に配属され、そこで石井輝男監督の作品で泣きながら主役をやりました(笑)。(略)京都には一年半ほど居ましたが、私にとっては辛い、悩みの中の日々でした。来る仕事は裸の仕事ばかりだし、自分のルックスとして時代劇に合う雰囲気でもない。だから京都にこのまま居てもどうしようもない、東京で現代劇をやりたいって、ずっと悩んでいました」
[PR]
by sen1818 | 2004-04-30 22:55 | 読書
1968~69年 暁出版株式会社

言わずと知れたSM雑誌。
なにゆえにこのようなものを買ったかというと、異常性愛路線映画で緊縛指導を担当した辻村隆の書いた撮影現場レポートがあるからなのですよ。

初めて『徳川女刑罰史』を観たとき、あまりのエグさに仰天しつつも、「ま、所詮は映画だし、実際の撮影のさいには、適当にごまかしてやっているんだろうな」と、迂闊にも思ってしまったわたくしでしたが、辻村のレポートを読んで己の不明を恥じました。

撮影現場は手加減なしのガチンコ勝負、まさに壮絶な修羅場と化していたのであります。

以下、その中からいくつかトピックを取り出して、ご紹介したいと思います。

「緊急ルポ 『徳川女刑罰史』のスターを縛る」(1968年11月号)
「SMカメラハント 『徳川女刑罰史(秘)銘々伝」(1968年12月号)


『徳川女刑罰史』の拷問及び刑罰シーンの現場レポート。
11月号では、第2話に出てくる尼寺の岩室での拷問場面で、尾花ミキたんを吊るす段になり、太繩の痛みに耐えかねたミキたんが泣き出してしまったというエピソードや、第3話のアップダウン責め(一つの釣瓶に2人の女性を吊るし、捕方が綱を引くと、互いが上下に動く)で、やはり外人モデル(アニタたん)が泣き出してしまったという出来事が記されています。
他にも、首におもりをつけて四つん這いになった外人モデルが、割竹でお尻を叩かれて真っ赤なみみず腫れができたにもかかわらず、この場面を気に入った監督が予告編に挿入するため、同じ場面をもう一度撮り直した、なんていうきつーい逸話も載っていました。
12月号には、第2話のどじょう責め(おぞましい)や磔刑場面、タイトルバックの処刑場面等が出てきますが、圧巻は第1話の海老責めと弓反り責め。
中でも、海老責めの姿勢のまま2時間も耐えた後、台本にはなかった弓反り責めを急遽加えられ、手桶の水を何杯もぶっかけられた橘ますみたんの苦難は、涙なくしては読めません。

「SMカメラハント 東映京都作品『元禄女系図』悦虐と耽美の構成」(1969年2月号)

『残酷・異常・虐待物語 元禄女系図』の撮影現場レポート。
第2話の小人や黒人との絡みや、入浴場面の製作過程等が大変詳しく記述されていますが、葵三津子たんの頑張りに頭の下がる思いがしました。
先だって『元禄女系図』の紹介でも記した、第1話の雪責めの場面で、ますみたんがしきりと痛がって辻村を困らせたという逸話も、ここに出てきます。
第3話では、サド大名とマゾ側室のプレイという設定のため、縛りの過程から見せることになって、小池朝雄に縛りの段取りを指導したりと、辻村も大奮闘しています。
前作では泣き出した尾花ミキたんが、本作では「今日は案外ラクに感じました」と語っているのが、印象的です。
残念ながら、金粉責めのレポートはありませんでした。

「映画カメラハント 『徳川いれずみ師 責め地獄』─残酷美の集大成─」(1969年7月号)

異常性愛路線映画の最高峰『徳川いれずみ師 責め地獄』の現場レポート。
撮影所内で四面楚歌の状態に置かれていた石井組が、ぎりぎりの中であれだけの傑作を生んだことが、これを読むとよくわかります。
また、主役に抜擢された由美てる子たん失踪事件の模様も、克明に記されていました。ただし、完全に監督側に立っての見解なので、てる子たんに対しては、かなりきついことばかりが書いてあるのですが。
彼女に代わって主役を演じることになった片山由美子たんの、痛すぎるエピソードも満載です。
「暴力否定の時代につくるやくざ映画と、性愛路線のエログロ映画と、社会に与える毒はどちらが大きいか-それは私の関与しないところである」なんていう記述に、辻村の痛烈な皮肉が込められているように、わたくしは感じました。(以下続く)
[PR]
by sen1818 | 2004-04-30 00:29 | 読書
1967年4月、NET(テレビ朝日)。栗塚旭主演。

橘ますみたんが、その初期にゲスト出演したテレビ時代劇。
ゲストといっても、まだ駆け出しの頃ゆえ、メインゲストが登場するときには名前が字幕で出るのに対し、ますみたん登場のさいにはなんのキャプションもありませんでした。
さすがに、タイトルバックでは名前が出てきますが。

さて、第1回でのますみたんの役どころは、某潘家老・内山(原田甲子郎)の娘・みほ(台詞でこう呼ばれるだけなので、漢字がわかりません。たぶん美保だと思いますが)。
父である家老・内山は、藩政改革を叫ぶ急進派勢力をつぶすことに躍起になっており、急進派のリーダーと見せかけて、実は家老と通じている藩士・桜井(丹羽又三郎)と共に、計略をめぐらせます。
桜井は、みほの許婚でもありますが、結局、内山も桜井も主人公の用心棒こと栗塚旭に殺されてしまいます。

ラスト近く、父親と配下の者が皆殺しにされているのをますみたんが見つけ、悲鳴をあげてそのまま気を失ってしまうのですが、いかに父親が悪い人間とはいえ、これじゃあちょっとあんまりだと思い、なんだか後味の悪い幕切れでした。

その他、拓ぼん(川谷拓三)が、守旧派藩士の役で出演していました。彼も、栗塚旭にあっさり斬られてしまいます。
拓ぼんというと、お亡くなりになる少し前にとあるパーティーで目撃、母親が一緒に写真を撮って貰ったことがあります。
気さくないい人でした。
[PR]
by sen1818 | 2004-04-29 21:43 | 橘ますみ
1969年4月 近代映画社

「しばらく買い物は封印」と言いながら、全く懲りていませんね、このバカタレ(あ、わたくしのことです)は。
またしても、買ってしまいました、昔のエロ雑誌。

しかも、ヤフオクで争ってまで。

例によって、言い訳めいたことを記すと、東映異常性愛路線映画の中で、なぜかこれだけが幻の作品になっている『異常性愛記録 ハレンチ』のグラビア頁があったからなのよーん。

で、買ってみて、よかったです。

今まで見たことのない写真が載っていました。

『ハレンチ』は、タイトルこそとんでもないものの、今日言うところの「ドメスティック・バイオレンス」や「ストーカー」を扱った作品(実話を基にしています)なので、「今こそ、この映画を上映すべきだ!今観ないで、どうする!」と、わたくしなんぞは思っているのです。
先日、東映のセルビデオを買ったときについていたアンケートハガキにも、「ぜひビデオ化してください」と書いて送ったのですが、フィルムが残っていないのでしょうか。

観たいのになあ。

付記:この映画も、ちょっと気になりました。石山健二郎と吉田輝雄が父子役ですし。
[PR]
by sen1818 | 2004-04-29 00:55 | 読書

目の前が真っ赤

大量出血場面が出てくる映画を観ていると、しみじみ思い出す出来事があります。

あれは、わたくしが小学校3年生のときでした。

秋祭りの子供神輿を担ぐため、神酒所そばの神輿置き場にいたわたくし目がけ、いきなり神輿が倒れてきて、神輿上部の鳳凰の金具がわたくしの頭にざっくりと突き刺さったのでございます。
「あっ!」と思う間もなく、わたくしの頭からは鮮血が、それこそ滝のようにあふれ出してきて、目の前が真っ暗、もとい、真っ赤になりました。

神酒所に詰めていた大人たちは止血用に手ぬぐいを1枚渡してくれ、「とりあえず、早く家へ帰りなさい」と、半ば厄介払い(?)をするように言ったので、わたくしは頭を手ぬぐいで押えながら家路を急ぎました。
家へ辿り着くまでの間、傷口の痛みと出血量の多さにうろたえたわたくしは思わず号泣、涙と血で顔はぐしゃぐしゃになっていました。

なんとか帰宅した血まみれのわたくしを見て、母はみじろぎもせずにただ一言、

「赤チン塗って、寝てなさい」

・・・・。

こうして、わたくしは医者に行くこともなく、赤チンを塗っただけのかんたんな治療で、その場を凌いだのでした。
不思議なことに、いつの間にか、あれほど噴き出していた血も止まって、破傷風にかかることもなく、今日まで、どうにか生き永らえております。

おかげさまで、こんな変態さん(?)になってしまいましたが。
[PR]
by sen1818 | 2004-04-29 00:35 | 妄想靡話
1969年、東映京都。石井輝男監督。大友柳太朗、大木実、吉田輝雄主演。

石井監督による「異常性愛路線」映画第7弾
橘ますみたんにとって6本目の石井監督作品であり、そしてこれが最後の石井作品への出演になりました。

映画は、石井監督お得意(?)の3話オムニバス形式。
1本で、「時代劇(1話)・仁侠映画(2話)・ギャング映画(3話)」の、超豪華3本立が楽しめるという趣向。

ますみたんは、第2話に登場。
死んだはずだが生きていた(与三郎かよ)昔の恋人・尾形(大木実)と、夫・雨宮(山本豊三)の間で揺れ動く女・さよを演じています。
かつて仁侠映画に数多く出演していたますみたんにしてみれば、いわば古巣に帰ったようなエピソードだったかも知れません。

お話もそれなりによくまとまっているし、つまらなくはないけれども、しかし、何かが物足りない。
ますみたんも、運命に翻弄される悲しい女をはかなげな風情で見せて、なかなかに美しいのですが、前作の『徳川いれずみ師 責め地獄』に比べると、いささか精彩を欠いている、というか、無難にまとまりすぎている感は否めません。
『責め地獄』の中で、ますみたん演じるお鈴が服毒自殺を図って絶命したときに、石井作品における彼女も燃え尽きてしまったのかなあ、とも思いました。
ま、この映画は男性中心のストーリーですから、いたし方ない面もあるのですが。

ともかく、本作をもってますみたんは石井組を卒業(したのか、自主退学したのかは不詳)、1970年からは東京での仕事が中心になりました。
本作以降は、主役よりも脇にまわることが多くなった点から考えると、これが最後の石井作品というのは、なんとも残念な気がします。

その他のエピソードの見どころを挙げると、第1話は、大友柳太朗の男気が炸裂する1品。
眼球くり抜きや耳削ぎ等、残酷描写も満載ですが、きわどい部分は大量出血でごまかしているので、それほどエグ味はありません。
眼球くり抜きは、『女必殺拳 危機一髪』の描写の方が、よっぽどエグいです。
耳削ぎも、舞台『贋作 桜の森の満開の下』で、夜長姫(毬谷友子)が耳男(野田秀樹)のどデカ耳を削ぐ場面の方が、痛かったですねえ。しかもその後に、夜長姫は高笑いでしたから。

第3話は、かつて石井監督の十八番だったギャング映画が帰ってきた、と思いたくなるような快作。
これも男性中心の作りながら、片山由美子たんがやくざの浮気な情婦を演じて出色でした。
が、「出る杭は打たれる」の例え通り(?)、さんざん殴られて熱湯シャワーまでかけられた揚句、コンクリ詰めにされてあの世行きになっちゃいます。
由美子たんは、この映画の併映作品だった『温泉ポン引女中』でも、モーターボートの直撃を受けて大量出血死してますから、とんだ災難といえますね。
中盤にちょこっとだけ出てくる三笠れい子たんも、安いボンド・ガール風の作りでいい味
出してました。

この映画、「今度は男の暴力路線を」という会社の要請に応えて製作した作品らしいのですが、どうせなら、男性中心のサディズム(『徳川女刑罰史』~『責め地獄』)の後は、女性のサディズムを描いてほしかったなあというのが、正直なところです。
普通の性嗜好しかないと、男性が責められるという発想には、なかなか至らないのかもしれませんが(といって、わたくしはSMマニアではございませんのよ、念のため)、一見して被虐タイプのますみたんが超サディストに変身、小池朝雄を陵辱しまくっていたら、けっこう面白かったんじゃないかと思うのですがね。

でも、男優さんがみんな引いちゃうか。

ハードゲイも、やばいしね。石井監督はホモセクシャルが嫌いらしいし。ニューハーフはお好きみたいですが。
だいいち東映じゃ、やる人も観る人もいないよ。

結局、当時はこれが妥当な線だったということでしょうか。

しかし、これ以前の作品では、若い女優さんを撮影現場で何時間も縛ったまま放置していた(尾花ミキたんなんか、最初はあまりの痛さに泣き出したらしいっす)ことを思うと、この映画の残酷描写が生ぬるく思えるのも、また事実なのであります。

男性って、自分自身の痛みには弱いのかな(つまらんオチ)。
[PR]
by sen1818 | 2004-04-27 23:17 | 橘ますみ

尤敏のブロマイド

浅草のマルベル堂に頼んでおいた尤敏のブロマイドが仕上がったので、貰いに行って来ました。

1961年から63年という、ほんのわずかの間でしたが日本映画界でも活躍した彼女らしく、10数枚のブロマイドがマルベル堂にはありました。
その中から、悩みに悩んで選んだ5枚を注文、3週間ほど待たされてようやく仕上がったという次第です。
仕上がりを受け取った後、同好の士である台湾の友人の分も頼んでおくんだったと後悔しましたが、その分はまた今度改めて頼むことにしました。

帰宅後、早速袋から出して鑑賞しましたが、厳選(?)しただけあってそれはそれは美しいブロマイドばかりでした。
特に、『続・社長洋行記』(1962年)のさいのチャイナ・ドレス姿のブロマイドが、とても気に入りました。

すごいぞ、マルベル堂。

付記:尤敏の他に、1961年に台湾から日本へやってきて、東宝映画やテレビで活躍した林沖(男優兼歌手。尤敏の映画や『香港クレージー作戦』に出ています)のブロマイドも沢山あって、これも購入しました。
彼のことは、いずれくわしくご紹介するつもりです。
[PR]
by sen1818 | 2004-04-27 21:53 | 尤敏
1970年、東映京都。降旗康男監督。藤純子、高倉健主演。

藤純子たんの「日本女侠伝」シリーズ第2作
北海道の大自然を舞台にした、「純子たん版マカロニ・ウェスタン」といえる映画ですが、『真赤な度胸花』という痛快なタイトルとは裏腹な、暗くてじめじめしたお話でした。

本作での橘ますみたんの役どころは、益川源次(山城新伍)の女房・お梅。
馬市の利権を狙う大金一家に脅されて、世話になった松尾家(博労総代の家)を裏切った源次でしたが、大金によって軟禁されてしまいます。
夫の裏切りを申し訳なく思ったお梅は、子供を連れて家を出、今は酒場で働いています。
そこへ、亡くなった松尾兼之助(小沢栄太郎)の娘・雪(藤純子)が現われ、お梅から真相を聞いた雪は、母子を自分のところへ匿います。
その後、源次は大金一家から逃走、源次夫婦と子供はほとぼりがさめるまでこの土地を離れることになり、雪に見送られて出立しますが、大金一家によって殺害されてしまうのでした。

源次夫婦と子供が土地を離れる場面で、「ああ、もうすぐ死ぬな」と思ったら、案の定、殺されちゃいました。

しかも、惨殺。

はじめに山城新伍が殺されて、亡骸に取り縋って泣いていたますみたんも凶弾に倒れるのですが、アップで映ったと思ったその刹那、画面いっぱいに血がドバーッと飛び散るんですわ。

一瞬、ホラー映画かと。

悲劇性を強調するというよりは、ただただ陰惨で、子供が殺されなかったのが、せめてもの救いでした。

そんなこんなでストーリーも低調、最後の銃撃戦もなんかスカッとしない仕上がりで、なぜか無性に呉宇森(ジョン・ウー)作品が観たくなってしまいました。

ラストは、純子たんが愛する健さんを馬で追っかけていくという、釈然としないオチ。
『モロッコ』か、はたまた夫婦渡り鳥か?

(於:浅草名画座)
[PR]
by sen1818 | 2004-04-26 22:54 | 橘ますみ
川本三郎著 1986年12月 ちくま文庫

もう大分前に出た、映画の本。
親本は、1977年筑摩書房刊ですが、文庫化にあたって、『シネマ裏通り』(1979年、冬樹社刊)の一部を加えています。

なぜ思い出したようにこんな本を買ったのかというと、それは橘ますみたんのことが書いてあるから。
川本氏は、ますみたんのファンだったのですね、むかしむかし。

例えば、「日本映画/その歩む所に心せよ」というコラムの中には、

いい映画というのは女優がいい。それも主演というよりワキ役的な女優だ。たとえば日本映画でいえば東映の『悪党ブルース』(69年、鷹森立一監督、宮園純子主演)での橘ますみ。

てな感じで、登場いたします。

その他、「短くも美しく燃え―東映のヒロインたち」では、

わが橘ますみの『悪党ブルース』は、封切当時(69年)見逃がし、同じく彼女のファンである「キネ旬」の酒井良雄さんから素晴らしい映画だとうわさだけを聞かされ、そのたびに見逃した私は、切歯タクワン、いや切歯ヤクワンし、封切後5年以上もたって、浅草の映画館で3本立ての1本として奇跡的に上映した時に、「ゆたか旬報」の編集長・秋本鉄次氏(例の『東映ピンキーバイオレンス浪漫アルバム』で、ますみたんにオマージュを捧げている方です・筆者注)と見ることが出来たのである。実に6年ぶりのめぐり逢いで、浅草の映画館のすみっこにすわりながらこちらはもう彼女が出てくるたびに胸がときめいてしまった。

と、熱ーい文章が綴られ、「ポンコツ・ヒロインふたたび」の項でも、『温泉あんま芸者』への大賛辞が出てきます。

これらのコラムが書かれたのは、1975年頃のことらしいのですが、当時、すでに引退していたますみたんの消息が気になった川本氏は、山口和彦監督(『悪党ブルース』の助監督。後、ますみたんが出演した「ずべ公番長」シリーズの監督も担当)に、わざわざ彼女のことを尋ねています。
といっても、山口監督も詳しい消息はご存知なかったようで、「関西に帰ったらしい」ことだけが記されています(実際には、ずっと東京で働いていたみたいですが)。
そこには、山口監督が語るますみたんの人物像も載っていて、曰く、「アッケラカンとした実にいい子だった」との由。

ますみたんご自身は、1988年の雑誌取材に対して、女優時代の自分は「わがまま放題」で、「ちゃらんぽらんな性格」だったと語っていますが、これは多分に(若い頃の自分に対する)自省の念を含んだコメントのようですから、本当のところは、山口監督が語っていた通りの女優さんだったのだろうなと思います。

山口監督の話を聞いた川本氏は、「ひとり、そうだそうだとうなずいていた」そうですが、わたくしもこの件を読むたびにいつも、「そうだそうだ」と一人うなずいているのであります。
[PR]
by sen1818 | 2004-04-26 01:12 | 読書

貯まるかな? (管理人名:せんきち)


by sen1818