2004年 08月 06日
釈迦
1961年、大映京都。三隅研次監督。本郷功次郎、勝新太郎、チェリト・ソリス主演。
日本初の70ミリ映画。
「『十戒』や『ベン・ハー』みたいなハリウッド超大作がなんだ!オラッちのところでだって、こんな立派なもんが撮れるんだぞー!」という、永田社長の荒ーい鼻息の音が聞こえてきそうな映画であります。
いちおう、「天上天下唯我独尊」(誕生説話)やら「鬼子母神誕生秘話」(このキャスティング〔山田五十鈴〕、すごすぎるわ)、「ダイバダッタの悪あがき」、「アジャセ王子のああ勘違い」(王舎城の悲劇)、「貧者の一灯」(北林谷栄のオババ)・・・・等々、メジャーな仏教説話を取り入れていますが、ブッダの生母が出てこないわ、奥さん(ヤショーダラー=チェリト・ソリス)はいるけど子供(ラフラ。仏弟子になったはず)はいないわ、16歳で結婚して29歳で出家したはずなのにもっと早く出家しちゃうわ、奥さん自決しちゃうわ(こちらも仏弟子になったはず)と、「なんちゃって仏教徒」のわたくしにとってはめまいがするような改変振りで、思わず書棚から中村元先生の本を引っ張り出してきて読み直してしまいましたよ。
クナラ太子(市川雷蔵)の説話も、かなり違っていたみたいだし。
ところで、あの京マチ子って、スジャータなんですか?
悟りをひらいてブッダとなった本郷功次郎が、シルエットや後姿かなんかでしか出てこなかったのは、賢明でしたが。
とにかく、あまりにも奇跡ばかりを描きすぎて(特撮やるのに必要だからかしらん)、ブッダその人の思想が何一つ伝わってこない、いわゆる「トンデモ宗教スペクタクル映画」じゃないかと思いましたです。
アジャセの物語だって、父殺しの大罪を犯してからが、本当の始まりなのですから。
それから、日本人がインド及びネパール系の人々を演じるのって、赤毛物とはまた違った勘違い感がありますね。
みんなでタイ人やってた『山田長政 王者の剣』(永田社長の「中田康子好き好き映画」という側面も・・・・以下自粛)もすごかったけど。
象の足は、『山田長政 王者の剣』のときと比べると、格段の進歩を見せていました。
ま、とにかく大掛かりな映画ですから、
金かかってんだろうなあ。おっきな画面って、すげーよなあ。
と、とりあえず感心しておしまいで、よろしいのではないかと。
で、以下は、チェリト(チャリト)・ソリス(1935~98)の話題。
この女優さんは、アジア映画祭で永田社長がめっけて(日本に)連れて来た人だそうで、当時はフィリピン一のメジャースタジオ・LVN所属のスター。
『週刊女性』1961年5月第1週号所収の記事「にぎやかな輸入スター」には、
・・・・(チェリト)ソリスはフィリピンの女優で、ことし24歳(じっさいは26歳・筆者注)。整った容貌もさることながら、ピリッとワサビのきいた演技が評判だ。
「釈迦」ではオシャカさまの妃にふんして貫禄たっぷりのところを見せており、「野球のディサ(大毎オリオンズの投手)、映画のソリス」と、大映マン自慢のタネ。(以下略)
という記述が見えます。
本作での彼女は日本語吹替ながら、それなりに的確な演技をみせ、美しさもなかなかのものです。
しかし、いかんせんあっという間に死んでしまうという役のため、印象薄という感は否めません。
その後、『太陽は撃てない』や『王女と私』といった大映における主演作の企画があったものの、これらはけっきょく実現せず、翌62年、『熱砂の月』(香港ロケしてます)で再び本郷功次郎と共演しましたが、この作品が大コケ、ソリスの大映映画出演もそれきりとなってしまいました。
当時の報道を見てみると、1962年には本郷とのロマンス説も出て、かなりにぎやかです。
が、1963年に入ると早くも「あの人は今」状態になり、『週刊明星』1963年10月27日号には「70ミリ女優チェリト・ソリスのその後」なんていう記事が出ています。
そこには、フィリピンでの彼女の活躍ぶり、姉と妹が間もなく結婚すること等が記された後、最後にソリス自身の、
・・・・「ホンゴー(本郷功次郎)はどうしてる?」「ジュンコさん(叶順子)はなぜ女優をやめたの?」と矢つぎばやの質問をあびせたあげく、
「行きたいなア、もういちど日本へ。なんだか、私の故郷のような気がするの」(以下略)
という談話が収められています。
彼女と同時期に日本へやって来た尤敏が早々と結婚・引退してしまったのに対し、ソリスは終生女優を続けていたようです。
彼女の若き日のフィリピンでの仕事振りも、ぜひ知りたいものです。
付記:どうでもいいけど、叶順子ってやっぱり劉嘉玲(カリーナ・ラウ)に似てるな。
日本初の70ミリ映画。
「『十戒』や『ベン・ハー』みたいなハリウッド超大作がなんだ!オラッちのところでだって、こんな立派なもんが撮れるんだぞー!」という、永田社長の荒ーい鼻息の音が聞こえてきそうな映画であります。
いちおう、「天上天下唯我独尊」(誕生説話)やら「鬼子母神誕生秘話」(このキャスティング〔山田五十鈴〕、すごすぎるわ)、「ダイバダッタの悪あがき」、「アジャセ王子のああ勘違い」(王舎城の悲劇)、「貧者の一灯」(北林谷栄のオババ)・・・・等々、メジャーな仏教説話を取り入れていますが、ブッダの生母が出てこないわ、奥さん(ヤショーダラー=チェリト・ソリス)はいるけど子供(ラフラ。仏弟子になったはず)はいないわ、16歳で結婚して29歳で出家したはずなのにもっと早く出家しちゃうわ、奥さん自決しちゃうわ(こちらも仏弟子になったはず)と、「なんちゃって仏教徒」のわたくしにとってはめまいがするような改変振りで、思わず書棚から中村元先生の本を引っ張り出してきて読み直してしまいましたよ。
クナラ太子(市川雷蔵)の説話も、かなり違っていたみたいだし。
ところで、あの京マチ子って、スジャータなんですか?
悟りをひらいてブッダとなった本郷功次郎が、シルエットや後姿かなんかでしか出てこなかったのは、賢明でしたが。
とにかく、あまりにも奇跡ばかりを描きすぎて(特撮やるのに必要だからかしらん)、ブッダその人の思想が何一つ伝わってこない、いわゆる「トンデモ宗教スペクタクル映画」じゃないかと思いましたです。
アジャセの物語だって、父殺しの大罪を犯してからが、本当の始まりなのですから。
それから、日本人がインド及びネパール系の人々を演じるのって、赤毛物とはまた違った勘違い感がありますね。
みんなでタイ人やってた『山田長政 王者の剣』(永田社長の「中田康子好き好き映画」という側面も・・・・以下自粛)もすごかったけど。
象の足は、『山田長政 王者の剣』のときと比べると、格段の進歩を見せていました。
ま、とにかく大掛かりな映画ですから、
金かかってんだろうなあ。おっきな画面って、すげーよなあ。
と、とりあえず感心しておしまいで、よろしいのではないかと。
で、以下は、チェリト(チャリト)・ソリス(1935~98)の話題。
この女優さんは、アジア映画祭で永田社長がめっけて(日本に)連れて来た人だそうで、当時はフィリピン一のメジャースタジオ・LVN所属のスター。
『週刊女性』1961年5月第1週号所収の記事「にぎやかな輸入スター」には、
・・・・(チェリト)ソリスはフィリピンの女優で、ことし24歳(じっさいは26歳・筆者注)。整った容貌もさることながら、ピリッとワサビのきいた演技が評判だ。
「釈迦」ではオシャカさまの妃にふんして貫禄たっぷりのところを見せており、「野球のディサ(大毎オリオンズの投手)、映画のソリス」と、大映マン自慢のタネ。(以下略)
という記述が見えます。
本作での彼女は日本語吹替ながら、それなりに的確な演技をみせ、美しさもなかなかのものです。
しかし、いかんせんあっという間に死んでしまうという役のため、印象薄という感は否めません。
その後、『太陽は撃てない』や『王女と私』といった大映における主演作の企画があったものの、これらはけっきょく実現せず、翌62年、『熱砂の月』(香港ロケしてます)で再び本郷功次郎と共演しましたが、この作品が大コケ、ソリスの大映映画出演もそれきりとなってしまいました。
当時の報道を見てみると、1962年には本郷とのロマンス説も出て、かなりにぎやかです。
が、1963年に入ると早くも「あの人は今」状態になり、『週刊明星』1963年10月27日号には「70ミリ女優チェリト・ソリスのその後」なんていう記事が出ています。
そこには、フィリピンでの彼女の活躍ぶり、姉と妹が間もなく結婚すること等が記された後、最後にソリス自身の、
・・・・「ホンゴー(本郷功次郎)はどうしてる?」「ジュンコさん(叶順子)はなぜ女優をやめたの?」と矢つぎばやの質問をあびせたあげく、
「行きたいなア、もういちど日本へ。なんだか、私の故郷のような気がするの」(以下略)
という談話が収められています。
彼女と同時期に日本へやって来た尤敏が早々と結婚・引退してしまったのに対し、ソリスは終生女優を続けていたようです。
彼女の若き日のフィリピンでの仕事振りも、ぜひ知りたいものです。
付記:どうでもいいけど、叶順子ってやっぱり劉嘉玲(カリーナ・ラウ)に似てるな。
by sen1818
| 2004-08-06 23:16
| 映画