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俺にも言わせろ!

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えー、一応、旅日記が終了したところで、西本さん&蔡瀾さんにこき下ろされていた(?)井上梅次監督の香港映画体験に関するインタビュー情報をさくっとご紹介。
ご本人の言い分もあるでしょうし。

日本語インタビューとしては、『キネマ旬報』1996年7月6日号(臨時増刊)『中華電影物知り帖』所収の「僕の香港映画製作体験 井上梅次インタビュー」(聞き手:宇田川幸洋氏)があり、これは図書館あたりへいけばちょちょっと読めますし、古本屋でも入手可能ですから、ぜひご自分でお調べになってみて下さい(と、作業放棄)。
そんなわけで、ここでは、『跨界的香港電影』(2000年、康樂及文化事務署)所収の「專訪井上梅次」(聞き手:邱淑婷氏)から、ちょっこし注目事項を取り出してみたいと思います。

全体としては、日本語インタビューとだぶる部分がかなり多いのですが、「お気に入りの俳優」の項で、日本語インタビューにはない汪萍と陳厚の名前を挙げているのは独自ネタです。
なるほど、どうりで汪萍は松竹の井上監督作品『怒れ毒蛇 目撃者を消せ』に出ているわけです。
また、陳厚が病(胃癌)に倒れた後、彼のために薬を届けたというエピソードも語っていました。

しかし、香港人スタッフに対する評価はかなり低いもので、そのあたりの行き違いが、西本さんや蔡瀾さんの悪評(?)に結びついているのかも知れません。
ただ、西本さんの弟子で後に監督に昇進した華山や、助監督を務めていた桂治洪のことは、とても褒めていましたけれど。

井上監督は、邵氏で17本の映画を撮りましたが、出来栄えに満足しているのは、やはり『香港ノクターン』だそうです。
『青春鼓王』は、オリジナルの『嵐を呼ぶ男』の方がずっといいと語っていますが、これは無理からぬことだと思います。

この他、なぜ井上監督だけが中国名を使わなかったのかという点に関しても、そのヒントとなるようなコメントを残しています。
曰く、「邵氏は私に中国名を名乗らせようとしたが、私はいつも自分の本名を使った」というもので、井上監督としては、いついかなる場所においても、あくまで「井上梅次」という名前で仕事をしたかったということなのでしょう。
この「中国名を名乗らせようとした」という一件に関連して、「香港(の映画)人は、自分たち(日本人スタッフ)の存在と重要性を一向に話題にしない」というコメントもありました。
(タイトルに)名前も出さず、文字通り「縁の下の力持ち」として香港映画のために働いた多くの日本人スタッフのことを思っての発言だと思いますが、この点(日本人の技術協力)に関しては徐々に研究が進みつつあり、今後はこのような事態も改善されていくのではないかと思います。

ものすごーく簡単ですが、だいたい上記のようなコメントがありましたです。
あとは、前述したとおり、『キネ旬』所収の日本語インタビューをお読み下さいまし(と、やっぱり作業放棄)。

付記:しかし、写真にある新聞記事(向かって右一番下)の「ブルース・リーの師匠」って見出し、なんなんでしょ?
by sen1818 | 2004-11-17 01:11 | 映画

貯まるかな? (管理人名:せんきち)


by sen1818