1962年3月1日、映画芸術社。

つい最近、ネットの古本屋さんで購入。
といっても、中身を読むためではなくて、表紙が林黛(お写真)だったから。
この年、彼女の代表作の1つである
『江山美人』(1959年、邵氏。大牛を演じている金銓は、ご存知金胡銓のこと)が日本で公開されましたが、香港映画になじみのない日本人には受け入れられず、残念ながら興行成績はさっぱりでした。
この雑誌は、公開前に発売されたもので、林黛の顔見せの意味もあった模様です。
雑誌の巻末には「表紙の人」というコーナーがあり、林黛に関しての説明文が見えます。
引用しておきましょう。
今月は香港映画の明眸「林黛」を御紹介いたします。彼女の本名は程月如という大変、色気のないものですが、現在香港のトップスタアとして、東洋に君臨し、アジア映画祭で、三回も主演女優賞をとったベテランです。
中国広西省桂林生れ。近く我が国でも彼女の主演映画「江山美人」が上映される予定です。
当時、アジア映画祭(現・アジア太平洋映画祭)を中心とした活動によって、アジアの映画人同士の交流は盛んでしたが、いざ作品の公開という段になると、日本映画の圧倒的な輸出超過という状況が続いていたのでした。
一応、「年に2本は中国映画(当時は香港か台湾映画)を輸入する」という取り決めがあったらしいのですが、ほとんど有名無実化していたようです。
そういえば、尤敏の香港での出演作品も、けっきょく日本で公開されることはありませんでした。

ところで、林黛の場合、日本でも出演作品が公開され、その縁で表紙に起用されたわけですが、日本で1本も出演作品が公開されていないのに、雑誌の表紙を飾った香港女優がいます。
それが、葉楓(お写真)です。
1961年、東宝は電懋との合作映画『香港の夜』の製作・公開にあたって、尤敏を売り出すために大々的な宣伝活動を展開しました。
週刊誌や月刊誌の表紙に彼女を起用するというのも、きわめて有効な宣伝手段として大いに活用され、中でも『週刊公論』(中央公論社が出していた週刊誌)の表紙には3度も登場しています。
1961年5月15日号、5月29日号、6月12日号がその全てですが、実はこの後の6月19日号の表紙に、スター・フェリー上で微笑む葉楓の写真(大竹省二撮影)が使われています。
葉楓は、当時尤敏と同じ電懋所属の女優でしたから、それで白羽の矢が立ったのだと思いますが、(彼女よりも格上の)葛蘭や林翠でなく葉楓を使ったという点が、なかなかユニークだと言えます。
当方、これらの雑誌も運良く入手することができ、現在は(当方の)「片付けられない女の部屋」にて仮安置しています。
しかし、いづれは全て香港電影資料館に寄付することができればよいなあと、遠大な野望(?)を抱いているのでございます。

付記:ちなみに、これより7年前の1955年にも、林黛は松竹と國際(電懋の前身)の合作映画
『東京-香港 蜜月旅行』に出演しています(日本公開時のプレスシートのお写真)。